五日目、 またも羊のおかげで、 王子さまの人生の もう一つの秘密が明かされた。 いきなり何の前触れ(まえぶれ)もなく、 王子さまは僕に聞いてきた。 ずっと黙って考えていた問題が ようやく答えを見出したように。 「羊って、小さな木を食べるなら、 花も食べるんじゃないかな。」 「羊は見つけた物は何でも食べるよ。」 「刺のある花でも?」 「そう、刺のある花でもね。」 「だったら、 刺って、何のためにあるの?」 「そんなことは知らない。」 その時僕は エンジンに固く食い込んだボルトを外すのに 必死になっていた。 故障は極めて深刻だった。 飲み水も底を尽きかけていたし、 最悪な事態に怯えていた。 「ねえ、刺は何のためにあるの?」 王子さまは一度質問をしたら、 その答えを聞くまで絶対に諦めない。 僕は、ボルトにいらいらしていたので、 考えもせず、適当に答えた。 「刺は何の役にも立たないよ。 ただの花の意地悪さ。」 「え?」 しかし、一瞬の沈黙の後、 王子さまは憤然として言い返してきた。 「そんなこと、信じない。 花は弱くて無防備なんだ。 でも、できるだけのことをして、 安心したいんだ。 刺があれば、 怖い存在になれると思っているんだ。」 僕は返事もしなかった。 こんなことを考えていたのだ。 「このボルトが動かないなら、 金槌で叩き壊すしかないな。」 しかし、王子さまが再び割り込んできた。 「でも君、君は思ってるの?花が…」 「違う違う。何とも思っていないよ。 思いついたことを適当に言っただけさ。 僕は今、重要なことで頭がいっぱいなんだよ。」 「重要な…こと?」 王子さまは僕を見ていた。 金槌を持って、 指先は機械油(きかいあぶら)で真っ黒。 王子さまにとっては、 酷く不格好(ぶかっこう)に見える物の上に 屈(かが)み込んでいる。 「君の話し方は大人みたいだ。 何もかもごっちゃ混ぜにしている。」 そう言われて、 僕はちょっと恥ずかしくなった。 王子さまは本当に怒っていた。 金色の髪が風に揺れていた。 「僕は、 赤ら顔(あからがお)の小父さんが暮らす星に 行ったことがある。 その小父さんは 一度も花の香り嗅いだことがない。 星を眺めたこともない。 誰かを愛したこともない。 小父さんは、 足し算(たしざん)以外 何もしたことがないんだ。 そして一日中 君みたいに繰り返していたよ。 私は重要人物だ、私は重要人物だってね。 そして大威張りに威張って、 膨れ上がっている。 でも、そんなのは人間じゃない。 茸だ。茸だよ。」 王子さまの顔は 怒りのあまり青ざめていた。 「何百万年も前から、 花は刺を付けている。 何百万年も前から、 羊はそれでも花を食べる。 どうして花が わざわざ役立たずの刺を付けるのか、 考えるのは 大事なことじゃないっていうの? 羊と花との戦いは 重要じゃないっていうの? 赤ら顔の太った小父さんの足し算よりも、 大事でも重要でもないっていうの? 僕は、世界中で たった一つだけの花を知っていて、 それは僕の星にしか咲いていないのに、 羊がある朝、 何も考えずに ぱくっとその花を食べてしまっても、 そんなことは重要じゃないっていうの? もしも誰かが何百万もの星の中で たった一つの星に咲く花を愛していたら、 その人は星空を見上げるだけで、 幸せになれる。 僕の花はあのどこかで咲いている、 と思ってね。 でも羊が花を食べてしまったら、 それはその人にとって、 星の光が全て いきなり消えてしまうってことなんだよ。 それが重要じゃないっていうの?」 王子さまは、 それ以上何も言えなくなった。 そして、不意に泣き出した。 夜になっていた。 僕は工具を投げ捨てた。 金槌も、ボルトも、 喉の渇きも、迫り来る死も、 もはやどうでもよかった。 僕の星、この地球に、 慰めを求めている小さな王子さまがいたのだ。 僕は、王子さまを両腕で抱き締め、 小さな体を静かに揺(ゆ)すってあげた。 「君が愛する花は、 危ない目になんか遭わないよ。 僕が羊の口に嵌める口輪(くちわ)を書いてあげる。 花の周りには囲いを書いてあげるよ。僕は…」 その先は、何を言えばいいのか、 分からなかった。 なんて不器用なんだろう。 どうすれば王子さまの心に届くのか、 どうすれば再び一つになれるのか、 僕には分からなかった。 本当に謎めいている、涙の国という所は。 すぐに僕は、 王子さまの花のことをもっとよく知るようになった。 王子さまの星には、 もともと花びらが一重(ひとえ)の素朴な花が 場所も取らず、 邪魔にもならずに咲いていた。 ところがある日、 どこからともなく運ばれてきた種が芽を出した。 王子さまは他の物とは似ても似つかないその芽を見つけて、 注意深く観察していた。 新種のバオバブかもしれないからだ。 しかしそれはすぐに伸びるのを止め、 花を咲かせる準備を始めた。 ふっくらと大きく、 艶やかに蕾が育っていくのを見て、 王子さまは、 奇跡のような物が現れてくるのを感じていた。 しかし花は、 緑の部屋に隠れたまま、 美しい装いに掛かりきりだった。 慎重に色を選び、 ゆっくり衣裳を纏い、 花びらを一枚ずつ整える。 雛罌粟(ひなげし)のように 皺(しわ)くちゃな姿は見せたくなかった。 これ以上はない輝きを放つ美しい姿で、 華麗に登場したかった。 そう、花はとてもお洒落だった。 謎めいた準備は何日も続いた。 そしてある朝、 ぴったり日の出の時間に花は姿を現した。 そして、 あれほど念入りに装いを凝らしておきながら、 欠伸を噛み殺してこう言った。 「ああ、たった今目が覚めたばっかり。 ごめんなさいね。髪がぼさぼさだわ。」 しかし王子さまは 感動を抑えることが出来なかった。 「なんて綺麗なんだ、君は。」 「でしょう?」 花は静かに答えた。 「私はお日様と一緒に生まれたんですもの。」 王子さまは 花があまり謙虚ではないことに気づいたが、 それでも目が眩むほど美しかった。 「そろそろ朝食のお時間ね。 お願いしてもよろしいかしら。」 王子さまはすっかりどぎまぎしていたが、 如雨露(じょうろ)に新鮮な水を汲(く)んできて、 たっぷり花に掛けてあげた。 花はすぐに気まぐれな自惚れで、 王子さまを困らせるようになった。 例えばある日、 自分の四本の刺の話をしながらこう言った。 「たとえ虎が来ても大丈夫よ。鋭い爪で…」 「僕の星には虎はいないよ。 それに、虎は草を食べないし。」 「私、草ではないんですけど。」 「ごめんなさい。」 「虎なんかちっとも怖くないけれど、 風が吹き込むのが苦手なの。 貴方、衝立(ついたて)がないのかしら。」 (風が吹き込むのが苦手だなんて、 植物なのに、困ったことだわ。 この花はけっこう気難し屋さんだぞ。) 「暗くなったら、 ガラスの覆いを被せてちょうだい。 この星はとても寒いわ。 作りが悪いのね。前に私がいた所は…」 花はいきなり口を噤(つぐ)んだ。 種の状態で来たのだから、 他の世界のことなど、 何一つ知っているはずがない。 花はすぐに ばれる嘘をついてしまったことが 恥ずかしくて、 悪いのは王子さまのせいにしようと、 二度三度咳をした。 「で、衝立は?」 「探しに行こうとしていたら、 君が話しかけてきたんでしょう?」 すると花は、 わざとまた咳をして、 王子さまの良心を疼かせた。 こうして王子さまは、 心から愛していたにもかかわらず、 直(じき)に花のことを信用できなくなっていった。 些細な言葉を一々深刻に受け止め、 その度に不幸になった。 「花の言うことなんか、 聞かない方がよかったんだよ。 ただ眺めたり、 香りを楽しんでいればいいんだ。 あの花は僕の星を いい香りで満たしてくれた。 それなのに僕はそれを楽しめなかった。 虎の爪の話にしても、 僕はうんざりしたけれど、 花にしてみれば、 ほろりとさせるつもりだったのかもしれない。 あのころの僕は、 何(なん)にも分かっていなかったんだね。 言葉ではなく、 振る舞いで判断しなくちゃいけなかったんだ。 花は僕の星をいい香りで満たし、 明るくしてくれた。 僕は逃げちゃいけなかったんだ。 つまらない見せ掛けに隠れた花の優しさに 気づくべきだった。 花って、本当に矛盾しているからね。 でも僕はまだ子供で、 あの花の愛し方が分からなかったんだ。」 王子さまは星から出て行くために、 渡り鳥の移動を利用したようだ。 旅立ちの朝、 王子さまは星をきちんと片付けた。 活火山を掃除して、 煤(すす)を丁寧に取り払った。 二つの活火山は 朝食を温めるのになかなか便利だった。 用心に越したことはないので、 一つある死火山の煤も払っておいた。 綺麗に掃除しておけば、 火山は静かに安定して燃えて、 噴火はしない。 それから王子さまはちょっぴり寂しそうに、 入ってきたばかりのバオバブの芽を抜いた。 二度と帰ってくるつもりはなかった。 その朝は、 やり慣れた作業が何もかも とても愛おしく感じられた。 花に最後の水をやり、 ガラスの覆いを被せてあげようとした時、 王子さまは 自分が泣き出しそうになっていることに気づいた。 「さようなら。」 王子さまは花に言った。 しかし、花は答えなかった。 「さようなら。」 王子さまは繰り返した。 花は咳をした。 でも、風のせいではなかった。 「私が馬鹿でした。 許してください。幸せになってね。」 非難の言葉がなかったので、 王子さまはビックリした。 すっかり戸惑って、 ガラスの覆いを持ったまま立ち尽くした。 この穏やかな優しさの意味が 分からなかった。 「そうよ。私、貴方を愛している。 貴方が気づかなかったのは私のせいね。 もうどうでもいいけど。 でも貴方も、私と同じくらい馬鹿だったのよ。 幸せになってね。ガラスの覆いは捨てて。 もう要らないから。 「でも、風が…」 「風ならそんなに酷くないわ。 夜の涼しい空気は体にいいし、 私は花ですもの。」 「でも、動物が来たら…」 「蝶々と知り合いになりたかったら、 毛虫(けむし)の二匹や三匹、 我慢しなきゃね。 蝶々って、とても綺麗だって聞いたわ。 だって、他に誰が私を訪ねてくれるって言うの? 貴方は遠くへ行ってしまうし。 大きな動物も全然怖くないわ。私にだって、爪があるもの。」 そう言って花は 無邪気に四本の刺を見せ、こう言った。 そうやっていつまでもグズグズしないで、 いらいらするから。 行くって決めたのなら、すぐに行って。」 花は泣いているところを、 王子さまに見られたくなかったのだ。 それほど自尊心の高い花だった。